20180610

 

今日は簿記の試験だった。

できたところはできたけど、できなかったのはできなかった。

答案用紙が回収される間に、あ、ここ間違ったって気付いたりもして、相変わらず自分のケアレスミス具合には呆れた。

 

今回の試験で合格でも不合格でも、次に新しい勉強に取り組もうと思っている。

簿記2級か、宅建かなぁと悩んでるけど、どうしようかな。

このまま簿記を続けるのが効率的ではあるけど、新たに国家資格取るために頑張ろうかな。

 

何か打ち込めるものがないと、不安になる。

今の仕事は、正直熱中しきれない。義務感が生まれると、やりたくなくなっちゃうんだよなぁ。人から指図されたり、周りの人と調和を図りながら働くのが苦手なのかもしれない。

だから自主的に勉強したいこと勉強してるほうがいい。

簿記とか宅建とか取ったところでどうすんだよ、とは自分でも思うけど、逃れられればなんでもいいのかもしれないな。

 

自分の力だけでお金を稼ぐことができないから、人に雇ってもらって稼ぐしかないんだけど、それが苦手な場合、どうしたらいいんだろう。自分1人で稼げる知識や技術をつけるには、結局人と関わりながら働いて経験を積むことが前提だし、どうしたらいいんだろう。

 

私はただ煩わしさから逃れて暮したい。やりたくないことはやらないで過ごしたい。はぁーあ。

20180606

 

先の見えない不安に襲われることは多々あり、昨日もそうだった。

昨日は夜に旦那とビストロへ行き、美味しいワインを3杯も飲んでしまって、すっかり楽しくなってしまった。

家に帰ってからついベッドで寝てしまい、目を覚ましたら0時前で、やべーと思ったら、隣で旦那も寝ててついイラッとする、、

私は今から風呂の準備やら洗濯やらあるんですけど、、と思ってしまう。

そういうちょっとした不満がトリガーとなっていろーんな不安がワッと押し寄せてきちゃう。

悶々と風呂からあがると、旦那は起きてはいたが何もせずゴロゴロしていたようで、またイラっとする、、

イライラしたまま寝て起きると、いつのまにかイライラは消えていて、旦那がいつも通りとなりにいることに嬉しくなる。

たいしたイライラではないのだが、ついね。

何だかんだ愛はあるのだと思いたい。

 

20180531

 

先の見えないことに不安を感じる。

自分と旦那それぞれのキャリア、家族としての今後の展望、、

自分は今の仕事のままでいいのか?本当はもっと堅実な生き方をしたいのでは?

旦那もこれからどう働いていくのか?いつまでこのまま働き続けるのか?

新しく家族を増やすのか?それはいつ?家を買うのか?

分からないことばかり。でも本当は分からないのではなくて、ただ単に考えていないだけだろう。

でも考えれば考えるほど辛いばかり。

今の現実のままじゃ、ずっとお金も自由な時間もないまま。家族なんて家なんて無理だよなぁ

旦那も日々の仕事に忙殺されていて、今後のこと考えてんだろうけど、ついうやむやな感じにしてふわっと流しちゃうし、明確な発言を避ける。すぐに守りに入る所には本当にイライラする。イライラ、、

仕事から帰ってきたら今日こそはっきりさせたろうと思うんだけど、顔見るとイライラは消えてしまうので、何だかんだ幸せなのだろうとも思ってしまう。

20180529

 

結婚して今日でちょうど2ヶ月になった。

結婚前から同居していたので、生活に大きな変化があった訳もなく、ゆるっと時が流れている。

 

3月からカフェの仕事も掛け持ちし始めた。

もともとカフェで独立したいと思って会社を辞めたのだが、いざカフェで働くと、本当にこれで食っていくには相当なメンタルの強さと忍耐力が必要だなと感じ、自分には向いてないのではと思ってしまった。

 

私は昔からなぜか、人より要領が良いと感じる場面が多々あり、学生時代の勉強がその1つだった。決して頭が良い訳ではなく、勉強を作業として要領良くこなすことが得意だった。

なので、私は飲食人のような強靭なメンタルと自己顕示力を持つより、得意の勉強を活かして資格を取って、それを食いぶちにしていこうと思ったのだが、ブレブレな自分軸で、結局どうしたいのか分からなくなってしまった。

 

今はほどよく空調の効いた家のベッドに寝っ転がりながらこの文章を書いている。

ついさっきまで、簿記の勉強をしていたが、集中が途切れて、スマホをいじり始めた。

グーグルで検索する。『打ち込めるもの ない』『20代 女性 資格』『水瓶座 運勢』『夕飯 献立』

どこにも何も答えがない。同じ言葉を少し表現を変えて再度検索する。

 

パワーが有り余っている、と感じる。持て余している。

 

旦那と仲良く楽しく暮らしたい。実家の家族とも時々会いたい。家を綺麗に保って、おうちでごはんを食べたい。

 

おうちでゴロゴロしていることに納得できるようになりたい。

 

専業主婦も、なかなかつらいよ。

状況整理20180207

 

 

状況整理のために、文章を書いてみようと思う。

 

2017年10月に、同年12月末での退職が決まる。

12月半ばから有給消化し、その間に彼氏と結婚を前提とした同棲をするために、引っ越す。

年末に彼実家に2度目の訪問し、やりすごす。私の実家に初めて彼氏を連れて行き、やりすごす。2018年3月末に入籍すると決める。

 

2018年1月から完全に無収入となる。

同月の末ごろから地元では有名なピザ屋さんで土日祝のみホールのアルバイトを始める。

現在、平日の仕事を模索中。

なんとなく目処は立っているが、一歩踏み出せずにいる。

でも、今日"人生つまみ食い"を思いつき(思い出し?)やってみよーかなっという気になっている。

 

彼氏は飲食店の店長で、週一回の定休日を除き、ほぼ毎日夜中まで仕事。週一の休みも、なんだかんだ店に行って仕込みをしないといけない。

おとといの夜中、動悸がすると職場から連絡をよこし、次の日に循環器科を受診。心臓や肺に異常はなく、おそらくストレスが原因とのこと。

今回の動悸以外にも、頭痛や肩こり、息詰まりが慢性的にひどい。

思うに、彼は自律神経失調症なのだと思う。仕事のストレス(忙しい、辛い、将来的な不安)と、結婚によるストレス(金銭的、将来的な不安)。このままの生活を続ければ、きっと鬱になってしまうだろうと思う。

私と彼の2人にとって、より良い人生を作っていけたらと思う。

より自由に、楽しく、好きに生きていけたらと思う。

彼の仕事そのものを、私が変えるということは難しいかもしれないけど、その周りから、ゆっくりとしたアプローチで、緩やかな良い変化をもたらしてあげることができたらなと思う。

 

まだ始まったばかりだけど、どーにかこーにか素敵な人生を模索していけたらと思う。

何でもない毎日に

気持ち良い秋晴れの中、1年前に中古で買った軽自動車に乗って海沿いの職場へと向かった。目に見えないような粉塵が空気中に巻き上がり、とにかくデカいトラックが猛スピードで行き交う通勤路。こんな快晴なのに閉鎖的な職場へと向かうのは、なんかちぐはぐでおかしいよなぁと思いながら、渋滞する道路をゆっくりと進んだ。

すると歩道にランドセルを背負った小学生を見かけた。この子もあと数年で大人になって働くようになるんだろうなぁと思った。その次に、いや、大人になるまで生きているとも限らないか。極端な話、明日には死んでしまうかもしれないよなぁと思った。

私は時々、偶然見かけた人が死んでしまう妄想をしてしまうことがある。とても不謹慎だけど、考えてしまう。でも、全然悲しくない。それは相手が他人だから。死や悲しみに心を痛められるのは、本当にごくわずかな身近な人間に対してだけだから。

3.11、高校生だった私は同級生を津波で亡くした。その子は高校に入学して最初にできた友達で、クラスも部活も同じだった。つい前日まで一緒にいて、くだらない下品な話題で大盛り上がりしていた。でもあの日、その子との日々は突然終わった。あまりにも突然で、実感もわかなかった。その子の遺体が見つかったことを先生から電話で教えられた。濁流に揉まれた割には、きれいな状態で遺体が見つかったらしいと教えられた。私は電話を切り、とりあえず、泣いた。

学校が再開し、その子の告別式にクラスと部活の皆で参列した。その子の遺影は学生証の顔写真だった。その子の全てが津波に流されてしまった中、学生証だけは、海から離れて働くお父さんの車の中に落ちていたらしい。そういえば、その子は亡くなる直前に学生証を無くしたと騒いでいた。その学生証はご家族への形見となり、遺影となった。告別式は、皆が悲しんでいた。最後に挨拶をしに前に立ったその子のご両親と兄弟は、その子の面影を感じるような、感じないような顔立ちだった。

その後、学校全体にその子が亡くなったことを先生が伝えた。部活の仲間は涙を流してその話を聞いていた。他の人達も神妙な顔で話を聞いていた。しかし、先生の話が終わり解散になった途端、他の人達は何事も無かったかのようにしゃべり、笑っていた。そのことに、ものすごく衝撃を受け、怒りと悲しみが湧き上がった。つい前日まで同じ環境にいた人が一人死んだのに、全く関係のないような人々。信じられなかった。

でも、実際にその子と交流があったのはごくわずかな人だけで、ほとんどの人は話したこともなければ、顔すら分からない人も多くいた。悲しみを感じないのも当然のことだった。高校生だった私は、その事実を受け入れることはできたけど、それと同時に何かを無くしたように感じた。

人の痛みや悲しみは、当事者にしかわからない。その鈍感さは人間が健全に生きていく上での必要機能だと知った。

だからきっと私が死んでも、悲しむのはたった一握りの人だけで、その悲しみもすぐに晴れ、私によって空いた穴は代わりの誰かに埋められて普通に世の中は回るのだろう。そう思うと楽になったし、自分が如何に特別な人間でないかということを感じることができた。

だから時々、全くの他人が死ぬ妄想をする。その人の家族が悲しむ姿、空いた机、きっといつか代わりができる、皆同じだという安心感を感じるために。

生きていくのは辛いことも多いけど、周りはそれほど求めていないと感じると楽になる。

今私は高校を卒業し、大学を出て、3.11で甚大な被害を受けた街に住み、働いている。

24歳になる私は、とにかくつまらない仕事をこなす職場から海を見るたび、17歳のままのその子のことを思い出す。

 

 

ちなみに

その子のご家族は、どこに住み、何をしているのか、だれも知らない。

仏壇にはその子の学生証が飾られているのだろうか?