何でもない毎日に

気持ち良い秋晴れの中、1年前に中古で買った軽自動車に乗って海沿いの職場へと向かった。目に見えないような粉塵が空気中に巻き上がり、とにかくデカいトラックが猛スピードで行き交う通勤路。こんな快晴なのに閉鎖的な職場へと向かうのは、なんかちぐはぐでおかしいよなぁと思いながら、渋滞する道路をゆっくりと進んだ。

すると歩道にランドセルを背負った小学生を見かけた。この子もあと数年で大人になって働くようになるんだろうなぁと思った。その次に、いや、大人になるまで生きているとも限らないか。極端な話、明日には死んでしまうかもしれないよなぁと思った。

私は時々、偶然見かけた人が死んでしまう妄想をしてしまうことがある。とても不謹慎だけど、考えてしまう。でも、全然悲しくない。それは相手が他人だから。死や悲しみに心を痛められるのは、本当にごくわずかな身近な人間に対してだけだから。

3.11、高校生だった私は同級生を津波で亡くした。その子は高校に入学して最初にできた友達で、クラスも部活も同じだった。つい前日まで一緒にいて、くだらない下品な話題で大盛り上がりしていた。でもあの日、その子との日々は突然終わった。あまりにも突然で、実感もわかなかった。その子の遺体が見つかったことを先生から電話で教えられた。濁流に揉まれた割には、きれいな状態で遺体が見つかったらしいと教えられた。私は電話を切り、とりあえず、泣いた。

学校が再開し、その子の告別式にクラスと部活の皆で参列した。その子の遺影は学生証の顔写真だった。その子の全てが津波に流されてしまった中、学生証だけは、海から離れて働くお父さんの車の中に落ちていたらしい。そういえば、その子は亡くなる直前に学生証を無くしたと騒いでいた。その学生証はご家族への形見となり、遺影となった。告別式は、皆が悲しんでいた。最後に挨拶をしに前に立ったその子のご両親と兄弟は、その子の面影を感じるような、感じないような顔立ちだった。

その後、学校全体にその子が亡くなったことを先生が伝えた。部活の仲間は涙を流してその話を聞いていた。他の人達も神妙な顔で話を聞いていた。しかし、先生の話が終わり解散になった途端、他の人達は何事も無かったかのようにしゃべり、笑っていた。そのことに、ものすごく衝撃を受け、怒りと悲しみが湧き上がった。つい前日まで同じ環境にいた人が一人死んだのに、全く関係のないような人々。信じられなかった。

でも、実際にその子と交流があったのはごくわずかな人だけで、ほとんどの人は話したこともなければ、顔すら分からない人も多くいた。悲しみを感じないのも当然のことだった。高校生だった私は、その事実を受け入れることはできたけど、それと同時に何かを無くしたように感じた。

人の痛みや悲しみは、当事者にしかわからない。その鈍感さは人間が健全に生きていく上での必要機能だと知った。

だからきっと私が死んでも、悲しむのはたった一握りの人だけで、その悲しみもすぐに晴れ、私によって空いた穴は代わりの誰かに埋められて普通に世の中は回るのだろう。そう思うと楽になったし、自分が如何に特別な人間でないかということを感じることができた。

だから時々、全くの他人が死ぬ妄想をする。その人の家族が悲しむ姿、空いた机、きっといつか代わりができる、皆同じだという安心感を感じるために。

生きていくのは辛いことも多いけど、周りはそれほど求めていないと感じると楽になる。

今私は高校を卒業し、大学を出て、3.11で甚大な被害を受けた街に住み、働いている。

24歳になる私は、とにかくつまらない仕事をこなす職場から海を見るたび、17歳のままのその子のことを思い出す。

 

 

ちなみに

その子のご家族は、どこに住み、何をしているのか、だれも知らない。

仏壇にはその子の学生証が飾られているのだろうか?